世田谷区下馬の地域情報
下馬の地名由来
文治5(1189)年に源頼朝が奥州征伐へ向かう途中、この付近の沢で土砂崩れがあり、頼朝の馬が沢の深みにはまって死んでしまう。これをきっかけに、頼朝が「以後この沢を渡る時は、馬をひいて渡れ」と命じたことから、この沢を“馬引沢”と呼ぶようになり、これが村名になったと言われる。江戸中期に、上、中、下と3村に分かれた。このあたりは下馬沢引村といい、明治22(1889)年に周辺の5つの村と合併して誕生した駒沢村の大字となった。昭和7(1932)年の世田谷区成立の際に“引沢”を略し下馬となり、昭和43(1968)年の住居表示で現在のように。 |